木心乾漆造 像高93cm 奈良時代
開祖義淵僧正は白鳳時代後期から奈良時代にかけて、仏教界の指導者として常に重い地位にいた高僧で、玄ぼう・道慈・良弁・行基など奈良仏教の逸材で彼の教えを受けなかった者はいない。神亀五年(728)に岡寺に寂し、その廟塔は本堂南の小高い場所にある。本像は義淵僧正の肖像として伝わる像で、我が国古代の僧形彫刻を代表する名作の一つであると言われている。十分な奥行きと幅を有する体躯は骨太で力強く、太い眉、目尻の下がった大きな眼、肉厚の唇、幾条も刻み込まれた皺など高僧の精神までも克明に再現したかのような細部の造形に、熟達した写実表現をうかがうことができる。木屎漆の層がかなり薄く、木心部が彫像としてほぼ完成の域にあると考えられることなどから、制作年代は八世紀末頃と推定されている。現在は奈良国立博物館に寄託中。
塑造 像高4m85cm 奈良時代
岡寺本尊の如意輪観音座像は塑造の現存作品としては我が国最大の大きさを誇り、奈良時代における塑造による巨像制作の実際を物語る作例として注目されるだけではなく、我が国如意輪観音の最古の遺例としても重要視され、造像と信仰との両面にわたって奈良朝仏教文化の充実した内容を伝えている。像は右手を挙げて施無畏の印を結び、左手は膝上に置き掌を仰いで与願印とし、左足を前に組んで坐す。現在は左脚の下方が切りつめられて結跏趺坐の姿をとるが、本来は左足を踏み下げた半跏像であったと思われる。現在如意輪観音の姿といえば六臂(六本の手)で片膝を立てて思惟する像容が多いが、この姿は平安時代以後に密教の流入に伴って流布した姿であると言われ、二臂(二本の手)の姿は大変珍しく、西国三十三所観音霊場でも岡寺と第十三番札所石山寺の御本尊だけである。また古来より”銅像”の東大寺 毘盧遮那仏(奈良の大仏)、”木像”の長谷寺御本尊 十一面観世音菩薩、そして”塑像”の岡寺御本尊 如意輪観音菩薩で日本三大仏といわれている。
寺伝によると弘法大師が日本・中国・インド三国の土を以って造られ、それまで本尊とされてきた金銅如意輪観世音菩薩 半跏思惟像(重要文化財)を胎内に納められ本尊とされたと伝わる。
板絵著色
5mを優に超える巨大な木製の本尊光背。剥落が著しかったため平成28年春に剥落止めの修理を行う。飛天はそれぞれ手に花卉と華籠を持ち頭飾や天衣、裳裾を飜して軽々と飛翔する。上下から互いに向き合うような姿勢に描かれており、上方のものは天界より舞い下がり、下方のものは下界から舞い上がり、互いに身体を相接し、互いに反転するように描かれる。肉身の弾力感を的確に捉えた描線や、強烈な隈取りを施した賦彩に大陸直系の画風を濃厚にのこした飛天像がみごとな筆致で描かれており八世紀に遡る数少ない絵画作品の遺例としてきわめて価値が高いと言われている。写真は赤外線撮影。
金銅造 像高31.2cm 奈良時代
銅造で31.2cmの小さな尊像。御本尊 塑造 大如意輪観音坐像の胎内に納められたと伝わる仏様。
冠正面に房形の飾りをあらわした三面頭飾をつけ、右手指先を頬に当て、左手を右足首上に伏せ、左足を踏み下げて、反花付きの榻座に坐す半跏思惟形の菩薩像。
大きく結い上げた宝髻の形、丸みのある面相や肉身のつくり、衣文の襞の構成にみる進んだ感覚など、七世紀末から八世紀初頭の特色を示している。表現の基調は飛鳥・白鳳時代の渡来系の造像様式からはなれ、すっかり日本独自の穏やかでやさしい作風に変化している。
現在は京都国立博物館に寄託中。岡寺には御分身の像が安置されている。
木造 像長171.1cm 平安時代末~鎌倉時代
インド各地で布教の旅を続けた釈尊は80歳のとき、クシナガラの沙羅双樹のもとで静かに横たわり入滅された。これが涅槃であり、仏教の伝播あらゆる地域で美術作品の主題となった。我が国では釈尊のご命日とされる2月15日の涅槃会の本尊として懸用される絵画(掛け軸)によるものが圧倒的に多くまた大量に制作されてきたが彫像の作例はきわめて少ない。また等身大の本像は大変珍しい彫像の作例で、右手を腕枕にし、まっすぐのばした左手を体側にあてて横臥する姿をとる。数少ない木彫涅槃像として貴重視されている。現在は東京国立博物館に寄託中。
縦39.2cm 横39.2cm 厚さ8cm
岡寺出土と伝えられる方形の文様甎。甎とは笵型に粘土を詰め込んで形成した、レンガあるいはタイル状の焼き物である。四周に幅3cm弱ほどの素文帯が巡り、その中に天人像を浮き彫り風に表現している。天人は少し天空を仰ぎ見るようにして跪坐しており、腰から垂れたひれを両手で捧げ持っている。羽根状の頭飾りは跳ね上がり先端が対葉花文状になっている紐飾りも頭や腰から垂れながら空中に大きく翻っており、まさに天人が降りたたんとする姿見事に表現されている。本品と同様の天人文とみられる塼は国内でも出土が少なくきわめて貴重な遺例と言われている。現在は京都国立博物館に寄託中。岡寺には御分身が安置されている。
南北朝時代 縦106.6cm 横58.8cm
釈迦十六善神像は大般若経の転読において本尊として用いられた画像であり、釈迦を中心に玄奘三蔵や深沙大将を表わす内区と、甲冑を着た十六善神を整然と配置する外区からなる曼荼羅的な構図は大変珍しく、他に類例がない。
図様全体に金泥や截金を用い繊細な装飾を施すほか、全体に裏面からも彩色を施し、部位に応じて異なる彩色を用いるなど非常に丁寧に仕上げられている。 釈迦がまとう衣は縁や裏面まで明確に描き分け、玄奘三蔵が背負う笈に積まれた経巻を一点ずつ表わすなど図像の細部も入念に表現されている。
比較的目の細かい画絹を用いる点やのびやかな墨線、繊細な装飾技法などから、制作は南北朝時代と考えられる。
本品は、珍しい曼荼羅的図像を示す釈迦十六善神像の遺例として高い価値をもち令和5年(2023)3月に奈良県指定文化財に指定される。
江戸時代
御本尊 如意輪観音菩薩 脇侍。左脇侍(正面に向かって右)には愛染明王、右脇侍(正面に向かって左)には不動明王が鎮座する。寛政六年(1794)に開眼された事が本堂より見つかった祈願札及び光背裏の記述より判明する。近年の調査で両明王像ともに彩色等が浮き上がり剥落の恐れがあり光背も分解脱落の恐れがあることがわかり、開眼されて以来223年、初めての修理を平成29年10月より2年の予定で修理がはじまり、平成31年3月に無事修理を終えお戻りになられました。
江戸時代
開山堂(納骨回向堂)の御本尊。阿弥陀如来座像の左脇侍(正面に向かって右)には観音菩薩、右脇寺(正面に向かって左)には勢至菩薩が鎮座する。観音菩薩は阿弥陀如来の『慈悲』をあらわす化身で、勢至菩薩は『智慧』をあらわす化身であると言われている。
高さ34.5cm 桃山時代~江戸時代初期
豪華な台座の上に宝塔形をのせた金銅製の舎利塔。内部には水晶製宝珠形舎利容器を奉安している。屋蓋の軒下には組物を作らず方形の段差で代えている。屋蓋頂上に相輪を掲げ、相輪上部の花弁形から屋蓋の四隅に宝鎖を渡している。全面に精緻な文様が毛彫されており、近世の舎利塔としては出色の出来映えをみせている。現在は奈良国立博物館に寄託中。
白鳳時代
岡寺の境内各地から出土した、創建当時の瓦。瓦当面を上下の二区に分かち、上帯は狭く、線鋸歯文を配し、下帯は広く葡萄唐草文を飾る。葡萄唐草文はオリエントに始まり、ギリシャ・ローマからシルクロードを通じて中国や朝鮮半島におよび、日本へも波及した。葡萄唐草文を飾った軒平瓦は、複弁五葉蓮花文軒丸瓦と組合い、岡寺を中心とする奈良盆地の南部から竜門山地周辺にかけて、限られた山岳系の寺院などで出土し、独特の分布圏を形成しているため岡寺式瓦とも呼ばれる。
鎌倉時代
本堂に安置されている阿弥陀三尊立像の中尊、阿弥陀如来像。制作年代不詳ではあるが近年の調査で鎌倉時代の可能性が高くなっている。今後さらなる調査を実施予定。
江戸時代
本堂に安置されている阿弥陀三尊立像の脇侍、観音菩薩像と勢至菩薩像。両像ともに制作年代不詳ではあるが江戸時代と見られる。中尊の阿弥陀如来像が鎌倉時代の可能性が大きい為、中尊にあわせ後世に開眼された可能性もある。今後さらなる調査を実施予定。
平安時代~
長らく開山堂(納骨回向堂)に安置されていた不動明王。現在は本堂に安置。痛みが著しかったため平成20年に修復に入る。解体の際に詳しく調べると胸部の部材が平安時代のものと判明する。それにより各時代に修復されつづけ現在まで伝わった不動明王である事が判明する。修理にあたった仏師は本来なら新しく作り直してもおかしくない状態だったにもかかわらず、一部でも制作当初の部分を残しつつ現在にまで受け継がれているというのは意義のある事であり、だからこそ信仰を集め現在まで伝わっている理由であろうと言っている。
室町時代
岡寺所蔵の掛け軸。それぞれ室町時代。 二臂如意輪観世音菩薩の掛け軸は極めて珍しい作例である。
縦3m60cm × 横1m86cm 江戸時代
涅槃図とはお釈迦様入滅の時の情景を仏画にしたものであり、沙羅双樹の下に横たわるお釈迦様と、それを取り囲むように、仏弟子以外にも多数の菩薩・天・動物が集まり悲しんでいる様子が描かれている。我が国では古来よりお釈迦様が入滅された2月15日に涅槃図を本尊とし、お釈迦様の遺徳を偲ぶ涅槃会を営んできた。本作は平成17年に行われた開山堂解体修理の際に廊下天井裏から発見され、その後一年半をかけて修復された。
江戸時代 六曲屏風
真言宗の祖師のひとり善無畏が北インド乾陀国(けんだこく)の金粟王塔(こんぞくおうとう)下で『大日経供養法』を感得した話と、同じく竜猛が南インドの鉄塔中に納められていた『金剛頂経』を相承した話を、一組にした図。現天理市にあった内山永久寺の障子絵『両部大供感得図』の写し。前者は花咲く春、後者は紅葉の秋の景に描き分け、また海辺と山中という対照も与えて、仏教絵画でありながら大和絵風の情感を備える点も、原本通りである。岡寺三重宝塔壁画はこの両部大経感得図の印象的な場面を採用している。三重宝塔壁画一般公開は毎年10月第3日曜日の開山忌に行われている。
平成十二年
旧境内地に建っていた三重宝塔が文明四年(1472)に倒壊以来再建を見る事ができなかったが、昭和61年に五百十余年ぶりに再建された現三重宝塔の扉絵。十二天は、仏教の護法善神である「天部」の諸尊12種の総称である。密教では四天王とともに重視されている。十二天のうち、特に八方(東西南北の四方と東北・東南・西北・西南)を護る諸尊を八方天である。画面左から
風天(西北)毘沙門天(北)・伊舎那天(東北)帝釈天(東)
羅刹天(西南)水天(西)・火天(東南)閻魔天(南)
三重宝塔の初層壁画及び扉絵は毎年10月第3日曜日の開山忌野点茶会の際に年に1度の特別公開をしている。