重要文化財
塑造 如意輪観音座像
日本最大の塑像 岡寺大仏
如意輪観音座像
本堂には、奈良時代の制作にかかる巨大な如意輪観音座像が本尊としてまつられています。如意輪観音として古いお姿の遺例としても重要視されており、塑像(土でできた仏像)としては日本最大の仏様で、日本三大仏にもあげられており、重要文化財に指定されています。
日本三大仏とは、
”銅像”の東大寺 毘盧遮那仏(奈良の大仏)
”木像”の長谷寺御本尊 十一面観世音菩薩
”塑像”の岡寺御本尊 如意輪観音菩薩
と、古来より言われております。
寺伝によると弘法大師が日本・中国・インド三国の土を以って造られ、それまで本尊とされてきた金銅如意輪観世音菩薩 半跏思惟像(重要文化財)を胎内に納められ本尊とされたとの伝えも残っています。
本尊の高さは4.85メートルにおよび、通常は平安時代以後に、密教の流入に伴って流布した六臂(六本の手)で、片膝を立てて思惟する像容が多いのですが、岡寺本尊は二臂(二本の手)で、右手は施無畏、左手は与願の印を結んで、結跏趺坐をする姿をしています。しかし台座部の調査結果から、当初は左足を踏み下げて坐る半跏像であったのではないかと推測されています。 この二臂のお姿の如意輪観音像は非常に少なく、西国三十三所観音霊場でも七番岡寺と十三番石山寺の御本尊しか無く、大変貴重な御姿の如意輪観音様とされております。
興福寺の伝えによると弘法大師は法相学を義淵僧正ー道慈ー慶俊・勤操ー空海(弘法大師)という系統で学ばれたとなっていますので、義淵僧正の高徳を偲び、その菩提を祈る意味で、義淵僧正の廟のある岡のもとに一字を造り、如意輪観音の塑像大仏を造顕安置されたと考えられています。
古来より現在に至るまで永きにわたって「西国第七番の観音さま」「やくよけの観音様」として信仰を集めています。
半跏思像惟像
銅造で31.2cmの小さな尊像。弘法大師様が御本尊 塑造 大如意輪観音座像をお造りになられる時にその胎内に納められたと伝わる仏様。
その昔、春日仏師、稽首勲*が災難にあった時に岡寺にやってきて一搩手半(いちじゃくしゅはん)の尊像をお造りになって一心に拝んだ所その災難から逃れられた。という寺伝が伝わっています。一搩手半とは古来より仏像をはかる尺度の事をいい、現在の単位に直せば31.5cmとなり、この尊像とわずか3ミリの誤差しかなく古来より伝わるお姿などからも、その時の尊像はこの如意輪観世音菩薩 半跏思惟像であると言われております。
またこの『尊像を造り一心に祈り災難から逃れられた』という伝えは、『義淵僧正が悪龍の災難を取り除いた』という岡寺創建の伝説とともに現在まで脈々と信仰されている『岡寺やくよけ信仰』の所以の一つであると言われております。
重要文化財に指定されており、現在は京都国立博物館に寄託されており、岡寺には御分身がおられます。
*稽首勲・・・奈良時代の名仏師 稽文会・稽首勲 親子。西国第五番葛井寺の御本尊 千手観音菩薩座像(国宝)や西国第八番長谷寺の御本尊 十一面観世音菩薩(重文)等を手がけた当時の名工。